勉強における偶然と必然
塾で子どもたちを教えていると
いろいろと勉強に関するアイデアが浮かんできます。
今回はそんな中から浮かんだアイデアで
いつも指導するときに意識していること
についてのお話です。
1.勉強における必然的学習
私は文系科目を指導しているのですが、
どうしても暗記の難しさに悩まされてしまいます。
暗記についての記事でお話しした通り、
暗記というのは勉強の根本です。
社会では子どもたちが出来るだけ理解しやすい
ように出来事の前後関係や登場人物の心情なども
なぞらえて指導しています。
ですが結局のところは暗記なのです。
私はこうした教えるべきところを
教え、暗記してもらうことを必然的学習と考えています。
今日はここを教えるぞ!と計画して、
その通りに授業する。
塾講師の仕事として一番大切な部分です。
しかし、実は塾講師として子どもたちに
教えるのは必然的学習だけでは足りないのです。
2.偶然的学習とは
偶然的学習とは、本来授業で行う箇所とは
全然違う内容を敢えて、話のどこかに
はさんでおくことを言います。
これはこぼれ話や雑学とも違います。
例えば、私がよく行うのは、Tシャツの英字訳です。
練習時間に子どもたちが疲れているなと
感じたら、息抜きのために、子どもに声をかけます。
「なぁ、それなんて書いてるか知ってるん?」
子どものTシャツには英語で
I never forget your love.
と書いています。
おそらく意味なんかないのでしょうが、
それを全員の前で日本語訳にしてみます。
大半の生徒はハハハで終わってしまいますが、
たまにそういった話が強烈に脳裏に焼き付く子もいるんです。
私はそれを偶然的学習と名付けています。
必然的学習とは違い、偶然的学習で身についたことは
なかなか頭から離れません。
さらに面白いことに、話をした当初は
あまり意識しなかったにもかかわらず、
時間が経過してから、偶然的学習の効果が
現れる子もいるということです。
通常の授業でforgetという単語が登場したときに
「なんか聞いたことある…」と感じるのです。
こうした偶然的学習の種をまき散らしておくことで
思いもよらぬところで芽を出してくれることがあります。
しかも脳裏からなかなか消えない。
正直ラッキーです(笑)
3.偶然的学習、今は消えつつあるのです
。
実はこれ、かつてはわざわざ講師側から仕掛けなくても
種をまくことができたのです。
例えば本を読むと、この偶然的な知識はたくさん得られます。
しかし今の子供たちは本をほとんど読まなくなりました。
わからないことを調べる過程でも種をまくことが出来ました。
しかし今はわからないことがあればネットですぐに
答えを見つけることが出来ます。
本来であれば目的地にたどり着くまでの過程で、
何かしら学習していくものだったのですが、
今は便利な時代になりました。
解決したい問題が出てきても、ネットの力で
目的地までスっとひとっとびです。
こうなってしまうと偶然的学習の可能性は
極端に低くなってしまい、結果、講師側から
種まきをせねばならない…ということになるのです。
まとめ
偶然的学習と必然的学習は
光村図書さんの教科書掲載文章、
「ネット時代のコペルニクス」(吉見俊哉著9
の学習中に本著から刺激されて
発想するに至りました。
興味のある方はぜひ読んでみてください。
塾講師をされている方は、
こうした必然と偶然を併用しながら
授業を進めていくと、意外なところで
子どもたちからも評価をしてもらえるので、
ぜひ活用してみてください。